再開します

しばらくというか、大分ご無沙汰でしたが、また再開します。

この夏を越すとハラキリから丸五年経ちます。
三ヶ月ごとの検診では何も問題は出ず、近頃は食欲も旺盛で身体の回復もいたって順調です。
検診の度にX線によるCT撮影あるので、こいつの被爆の方が心配なくらいかな。(笑)


ところで、以前といっても五年前、ハラキリの直前に大庭景輝(仮称)様からコメントをいただき、「鎌倉党の家督を継ぐ大庭景能を鶴岡八幡宮俗別当に充て」たと書いた出典を問われましたが、そのままになってしまい、その後、代わりに水嶋大悟様から吾妻鏡曽我物語からとのコメントをいただいておりました。

わたしが参考にしたのは両書の他に、山本幸司著『頼朝の精神史』講談社選書メチエ143 です。これは所謂頼朝の伝記ではなく、怨霊の祟りかともいわれる頼朝の死の側面に関わる考察です。本文に書きましたが、鎌倉党の御霊社と鶴岡八幡宮の関係から大庭景能を鶴岡八幡宮俗別当に充てたであろうことを考察しています。

この春、藤沢の大庭城址と大庭神社および同族俣野氏の遊行寺へ行ってきました。遊行寺は武蔵七党横山党に関わる説経小栗判官照手姫の発祥地ですから。大庭城址周辺は、まだこんなところが在るんたな、というの田園風景でした。