2007-01-01から1年間の記事一覧

■差別された武士の果て

中世は被差別民を数多く生み出した時代です。いわゆる「道の者」といわれた「一処不在」の芸能者や諸職の職人たちですが、武芸をこととする初期の武士もその例外ではありません。この場合、武士の武芸とは殺人の業でしたから、死罪に匹敵する罪でも一等減じ…

■秋刀魚と日本刀

今年は秋刀魚の大漁とかで度々食卓にのった。焼いた秋刀魚に大根おろしもいいが、生きの良いのが手に入ると、家人が出刃包丁で手を掛けて刺身にさばいてくれた。三枚におろしてから青い皮をはぐという作業だ。 そんな技を何処で覚えたのかと聞くと、若いとき…

■ここからDiary

「武蔵野つれづれ」武蔵七党横山党については、一応、前回で終わりにします。ご愛読・コメント・トラックバック等々ありがとうございました。 ここからから本来のDiaryとして、気楽に日頃の想いなど記しますので今後も宜しくお願いします。 前回からい…

一所懸命と一所不在

土地を開墾して農地とした開拓者は、その土地を領主として一所懸命に死守するため武力を持った武士に成りました。しかし、自力の武力だけでは足りず、その土地を社寺や公家貴族に荘園として寄進し、荘司の身分を獲得して法的に権利を主張したり、それでも間…

30 和田の乱

建保元年(1213)和田の乱は鎌倉合戦ともいわれるように、鎌倉市中を戦場として将軍実朝を擁する幕府方の北条氏に対して、鎌倉御家人を統括する侍所別当の和田義盛が三浦党をはじめ反北条勢力を糾合して挑んだ大規模な戦いです。三浦党と源氏の因縁は古いもの…

29 泉親衡の謀反

多摩川の向かいの丘に源家重代の祈祷寺である長尾山威光寺(現妙楽寺 )は、頼朝の異母弟で義経の実兄今若、阿野全成が領していたことは先に触れました。全成の妻は北条政子の妹阿波局でしたが、比企の乱に先立って二代将軍頼家の命令で誅殺されました。頼家の…

28 北条氏内訌

三代将軍実朝は京都に憧れていました。十三歳で元服すると御台所を迎えることが話題にのぼり、実朝は「都の姫君を貰いたい」と言い出したものでした。既に政子の妹が足利義兼に嫁いで生まれた実朝の従妹が候補に挙がっていたのを蹴って、注文をつけたのです…