阪東八カ国の侍奉行として上総介となった藤原忠清は、同族の伊北庄司常仲と抗争の末に家督を得た上総権介広常の在庁諸職を取り上げようとしていました。弱みにつけこまれた上総広常は反発し、子息の能常を上洛させて事情説明したのですが、平氏は納得せず、…
平治乱以後、後白河院と二条天皇の間は不穏な関係にありました。互いに呪詛や近臣の解任・流罪が展開され、二条の病死によって即位した六条を五歳で譲位に追い込み、八歳の高倉を即位させました。高倉は平清盛の妻時子の妹建春門院滋子の生んだ後白河の皇子…
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