2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

10 在地領主

将門の乱から一世紀近い後の万寿五年(1028)、房総半島で阪東諸国を巻き込んだ平忠常の乱が起きました。都では我世の春を謳歌して政権を主導してきた藤原道長の没した年のことです。平忠常は上総・下総・安房国またがって私営田を経営し、在庁官人として上総…

09 母族横山氏

赤駒を山野に放し捕りかにて 多麻の横山歩ゆか遺らむ 武蔵国衙のあった府中から見て多摩川対岸のの地は、『万葉集』にも多摩の枕詞として歌われ、都人にも知れていました。そこには、畿内の古代氏族小野氏が武蔵国司や多摩の小野牧別当として赴任する以前か…

08 多摩の横山荘

古代の律令制度による地方支配は受領国司によるものでしたが、実態は在地首長の郡司が持っていた伝統的な権力を前提にして徴税を請負わせていました。その結果、徴税をめぐって国司と郡司の間に必然的に対立が生じます。また、地方へ下向して土着した王族や…

07 勅旨牧小野牧

律令制のはじめ、馬牧は建前として全国一律に官牧が設置されました。その主な目的は軍団に対する騎馬の貢納による供給にあります。しかし、馬牧に適する地域と不適な地との差は抗しがたく、特定の地域以外は次第に衰微し、廃止されてしまいます。また、軍団…