2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

24 富士の裾野

元暦元年(1184)正月二十日、近江国栗津(大津)で木曾義仲が阪東の大軍に攻められて敗死してから数ヶ月後、鎌倉に人質になっていた義仲の嫡男清水冠者義高は、大姫や付け人の計らいで脱走したものの、入間河原まで逃げて追手よって誅殺されてしまいました。い…

23 総社六所宮

元暦元年(1184)六月、信濃源氏の平賀義信は頼朝によって武蔵国の国司および守護人として武蔵守に任命されました。八月には伊賀国で戦功を重ねた嫡男の大内惟義が相模守となり、両国を父子で支配するほど頼朝に信頼され、常に御家人の首座に位置づけられてい…

22 阪東独立国

阪東謀叛の報は直ちに京へ伝達され、これをうけた平氏は平惟盛を大将として数万の軍勢を東国へ出発させました。このとき頼朝軍はまだ墨田河の東、下総国にいたのですが、平氏軍の来襲を予測しており、石橋山から使者として甲斐へ向かった北條時政に対して、…