序列をこえて

黒田俊雄の「権門体制論」とは、荒く括れば公家・武家・寺社家の三権門が天皇・法王を支える、古代の律令制以降の中世国家体制をいう。だから鎌倉幕府だけが中世権力の担い手だったという従来の通説は武士中心史観であるという。なかでも寺社家の権門は天台・真言顕教密教でなりたち中世以前の「顕密体制」が生き残っていて、いわゆる鎌倉新仏教などは微々たるものであったという。『法王と仏法』(法蔵館)

松岡正剛の千夜千冊(http://1000ya.isis.ne.jp/0777.html)などは、こういうことはこれまでに誰も言わなかったとして同書を紹介いるが、今谷明はすでに、『20世紀の歴史家たち』(刀水書房)黒田の説は戦前の皇国史観の猛者であった平泉澄の研究を「ほぼそのまま引き継いだもの」と指摘していた。さらに本郷和人は『武力による政治の誕生』(講談社選書メチエ)で「権門体制論は皇国史観の亡霊としての性格を色濃く帯びている」とするどく指摘している。

こうした『平家物語』や『太平記』による「源平交代」史観は物語が歴史を作るとい倒錯した事態をもたらし、そこではあらかじめ天皇制を頓挫させる道は絶たれている。

ところで、検索サイトで「源平交代」を検索して見ると、源氏の徳川政権を倒した幕末の維新は平氏なのか? といった疑問・質問が案外多いのに驚いた。こういう疑問・質問を発すること事態、すでに「源平交代」史観に犯されているのではないか。

天皇制を維持したのは「源平交代」によるばかりでない。武家の棟梁たる源平両氏とは異なり、天皇の「武臣」という序列の外側からもあった。例えば後醍醐天皇に仕えた楠正成に代表される悪党的武士たちである。彼らは天皇−将軍−領主−家臣といった武臣の序列をこえた「忠臣」として天皇に直接仕えたのだ。また幕末維新では脱藩浪人たちが天皇を担いで徳川政権を倒した。

おそらくここまでなら網野善彦の『異形の王権』(平凡社ライブラリー)等にいう非農業民や悪党的武士たちと天皇の関係でしかない。あるいは山口昌男の『天皇制の文化人類学』(岩波現代文庫)などにいう、いわゆる中心と周辺の相反するかに見えて親和力のある関係であろう。

兵藤裕己の『太平記<よみ>の可能性』はさらにそこから一歩進める。悪党的武士や脱藩浪人たちが序列をこえた先に見出したのは四民平等の世界である。ひとしく天皇につかえる「臣民」とされたのである。

源平交代や序列無視のいずれにあっても、この列島には天皇制をぬきにした変革などはなかったのだ。