2010-01-01から1年間の記事一覧

□ 京都の宝暦事件

赤穂事件からおよそ半世紀後のことである。 元赤穂藩浅野家の家老藤井又左衛門は大石内蔵助に次ぐ上席家老として藩主の参勤交代に御供して江戸へ出ていた時、刃傷事件が起きた。主君の補佐もできなかったことを恥じてか、赤穂にさえ帰らず出奔してしまい、知…

□ 忠臣と朝敵

赤穂の浪人たちが吉良邸に打ち入った事件は、幕藩国家が抱え込んだ内部矛盾を露呈させた。浪人たちが旧主の仇討をしたことは、幕府が奨励する忠孝一体の実践てあった。しかし、徒党を組んで武力で押し入ることは許されていない。幕府の裁判所にあたる評定所…

□ 孝行と家族国家

朱子学によって徳川政権の正統化を託されたのは林羅山であったが、彼は結果として博識を披歴しても本来の任を果たせなかった。というのも、儒教や朱子学を生んだ中国、当時の帝国明が清国の台頭によって滅亡してしまったことによる。朱子学によって徳川政権…

□ 欣求浄土と天道

戦国乱世の徳川軍は「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」という言葉を旗指物に書いて戦場に押し立ていた。その言葉自体は源信僧都が著した『往生要集』の冒頭から採られていて、浄土宗や浄土真宗の根底にある考え方にもなった。この世界は穢れ…

□ 禅と念仏

禅者が「悟った」などと主張するは如何わしいと以前何処かで書いた気がする。禅者がそんなことを言えるのは、人間には元来から神性がある、禅宗は仏教だから人間には生まれながらに仏性があるという、まるで儒教や朱子学と同じ発想によるからだ。禅者がそん…