■ここからDiary

「武蔵野つれづれ」武蔵七党横山党については、一応、前回で終わりにします。ご愛読・コメント・トラックバック等々ありがとうございました。
ここからから本来のDiaryとして、気楽に日頃の想いなど記しますので今後も宜しくお願いします。


前回からいきなり話題を変えるのもナンですから、前回の「一所懸命と一所不在 」の続きの話題にします。


「一所懸命」とは、自分の土地を死守するために武力に訴えてでも懸命に守り、さらに拡張しようとした武家の偽らざる精神でした。この精神をもって鎌倉幕府以降、明治維新まで武家政権が続いたわけです。
ならば明治になって士族が廃止されてからは土地を死守する「一所懸命」の精神がなくなったのかというと、そんなことはゼンゼン有りません。今度は国単位で土地を死守し、あげくはさらに領土拡張することに国民が「一所懸命」になったのが二度の世界大戦でした。
そして敗戦後も日本株式会社のなかで「一所懸命」の精神は生き延び、土地の値下がりでバブルがハジケルまで続きました。


初期の武士像の暴力性をもって現代の広域暴力団に例える研究者がいます。名を挙げれば高橋昌明や野口実といった中世史家です。武士の主従関係とは、暴力団の親分子分の関係に他なら無いというわけです。
その意見にある程度納得できても、土地や領土に対する「一所懸命」の精神を介在させてみると、ちょっと一面的ではないかと思えてしまいます。親分子分の関係は暴力団に限らず、日本株式会社の構造でもあったわけですから。


とれわけ、その対概念として「一所不在 」をもってくると、それがはっきりします。前回、武家が生まれた同じ頃、鎌倉新仏教も生まれ、そのなかから一遍時衆の「一所不在 」の精神も生まれたことに触れました。時衆以降の「一所不在 」の系譜をたどれば、それ自体で膨大なものになりますが、それはハショッて幕末の八九三屋さん、沓掛の時次郎か木枯の紋次郎に代表されるような無宿の渡世人にいきあたります。人別帳からはずされた彼等は一宿一飯の恩と義理をたよって正に無宿の「一所不在 」に生きていました。


さて、バブルでハジケた日本株式会社は、いつまでも武家や八九三屋さんのような親分子分の関係を維持していけなくなり、時次郎や紋次郎のような一宿一飯の渡世人である派遣社員を大量に雇い、鉄砲玉のように使い捨てにするようになりました。


抗争出入り、いや仕事があれば派遣の渡世人も悪くないかもしれない。だが、一旦仕事が切れたら、彼等は無宿の「一所不在 」を生きなければなない。


巷間にいう漫喫ネット難民とかになって。。。。